山下町のアーレンス商会を経て、谷戸坂にコロタイプ印刷所を開業します。当初の名称は、横浜写真版印刷所で、明治期の終わり頃、社名変更しています。
トンボヤ同様、現在残されている手彩色絵葉書の多くを占めています。
ところで、次回トンボヤさんを取り上げますが、羽休めとして、前回の星野屋、横浜写真版印刷所、トンボヤのコラボで、横浜開港五十年祭を巡ります。
その前に、上田写真版合資会社の絵葉書と宛名面のバリエーションを見てみましょう。
横浜写真版印刷所製 本町通は、銀行、貿易会社など商業の中心でした。

通りの名前は、洲干弁天社から取られています。町のシンボルが河北時計店の時計台です。

右手が賑座、左手が喜楽座。賑町通りとも呼ばれ、芝居見物のお客さんで賑います。

左手の生糸検査所の奥に見える塔は、開港五十年を記念して大正6年に完成した開港記念横浜会館です。
関東大震災で焼失しますが、昭和2年に再建されます。

宛名面のバリエーションは、参考程度に考えて頂ければと思います。





